本日誕生日を迎える私を全肯定してくれる自担という生き物へ
今日(こんにち)、ジャンルは違えど、自分が情熱を傾ける対象を"好きピ"や"推し"と言い表したりするが、私は今回あえて"自担"という言葉を使わさせて頂きたい。
"自分の担当"略して"自担"。なんとも厚かましくて、烏滸がましいそんな呼び方が私は大好きだ。
(※なぜかひょんなことから、この文章に辿り着いてしまった、きっと同じ気持ちを抱える同士の皆様。
なんの需要も無い文章で申し訳ないのですが、
「私も自担の誕生日には、自分の誕生日よりもよっぽど浮かれて、少し語りたくなってしまうこともあるよな。」
そんな生温かい目で見守ってくださるとありがたい。)
自担よ、今日は君の誕生日だ。
今日という日に、君が今日歳を重ねた分だけ時を遡った瞬間に、この世に生を受けたことを心から感謝する。
君のお母様、お父様はもちろん、君という人格を形成するに至った、君の人生の登場人物全てに感謝状を送りたい。
そして、たくさんある選択肢の中から、決して楽ではないこの世界を選んでくれて、
今日までその道を歩き続けてくれたこと、本当にありがとう。
こんなことを言うと、君は大袈裟だって笑うかもしれないが、これは1ミリも大袈裟なことではない。
自担よ、君の存在は、私の生きる力そのものだ。
生きていたら、全てが自分の思い通りにはもちろんいかない。嫌なことだって起こる。
だけど、大抵のことは
「自担も頑張っているかな」引いては「どこかで楽しく過ごしてるかな」さらには「もうこんな時間だから眠ってるからだろうか」なんて思いを馳せれば、頑張れる。
最終的には「この地のどこかで、自担が息をしてると思えば」なんて境地にまでたどり着いたりするから時々自分でもその底知れないパワーが怖いくらいだ。
自担よ、君が笑えば心が温かくなるし、涙なんかを見せた日には、心臓に針でも刺さったんではないかと錯覚するくらい胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
自担よ、君の一挙手一投足に振り回されっぱなしで、でもそれが心地いい。
時にはこの活動(通称:オタ活)が実生活に支障をきたすし()、この趣味というかもはやライフワークについて人に話すと、「夢中になるものがあるって素晴らしいよ」なんて言われるけど、もしかしたらそれは嫌味なのかもしれないけれど、その通りだななんて思う。
もし仮に「今までかけてきたお金も時間も全て返すから、その代わりに自担は没収ね。」なんて残酷な運命を突きつけられた日には、私は間違いなく身を投げるだろう。
命は平等でなければいけないが、「君の命だけは特別なんだ」と非道徳的な思考に陥ってしまうほどに、存在そのものが尊い生き物。
代わりの効かない。
そんな存在なんだ自担とは。
ここでタイトルに戻る。
自担よ、君のことを考える時、私は自然と自分を全肯定できる。
君と同じ時代に生まれてきたこと。
君と同じこの地で生きているということ。
君のことを思える感情を持ち合わせていること。
少しでも、何か一つでもズレていれば、今の私はいない。そう思うと全てのことは奇跡だなんて、どこぞの歌詞ぐらいくさい台詞だって真顔で言えてしまう。
普段決してポジティブとは言えない、こんなどうしようもない私ですら、無意識に掬い上げて全肯定してしまう魔法の生き物なんだ君は。
(さて、オタクの悪い癖で語りすぎてしまった。)
最後に、今日誕生日を迎えた、自担よ。
これからの人生、きっと色々なことがあるだろう。
楽しいことばかりではないかもしれない。
悲しいことや、苦しいこともあるだろう。
そんな時、きっと私は何もしてあげられない。
だから君の大好きな人たちが、君のことを支え、守ってくれると信じてる。
君の人生のパーセンテージが、健やかで、笑っていられる時間が出来るだけ長く占めてくれるように、心から祈っている。
そして願わくば、その姿をずっとこの目で見届けられますように。
自担よ、誕生日、おめでとう。
ゑるま