Love-tuneとすれ違って、7ORDERに交わる話
8月22日という日を私はいつもと変わらず過ごしていた。タイムラインで一年前の今日が舞台7ORDERの初日であったことを知る。
ふと、カレンダーを遡ってみる。一年前の今頃私は平野担だった。そうだちょうど24時間テレビが放送されるタイミングで、コンサートのために北海道に行っていた。そこでの出会いが、のちに私のオタク人生を変え、彼らと出会うきっかけになることも、私はまだ知らずに、雨上がり、会場にかかった虹を眺めていた。
時々、マシュマロとかで担歴を聞かれることがあって、便宜上「平野担だった。」と話しているが、私は平野担自体もそもそもドのつく新規だった。
ジャニーズと共に生きてきた感はあるが、ジャニオタと呼べるものではなく、いわゆる茶の間オタクで、小学生の時は亀梨派か赤西派かと女子同士で討論を繰り返し(赤西派だった)、嵐が十周年を迎えるタイミングは嵐が好きだったし(大野くんが好きだった)、SMAPが解散した時は喪失感で死ぬほど泣くようなミーハー&テレビっ子といった感じだった。
でも、ファンクラブに入ったり、コンサートや舞台を観に行ったりしたのはKing & Princeが初めてで。彼らの人気を知らなかったので、とんでもなくコンサートの倍率が高いことにとてもびっくりした。(世間知らずにも程がある)
思い返してみると、私が初めてLove-tuneの存在を耳にしたのは、2018年の年末。ジャニアイを観に行った時だった。私は当時、出てくるジュニアのユニットの見分けもつかなかい状態だったのだが、一緒に入っていた岸担から
「ジャニーズ事務所からグループ全員で辞めるジュニアが居るんだよ。」
という話を聞かされたのは覚えている。でも私は当時、ジャニーズジュニアがユニットメンバー全員で退所することの意味や、ジャニーズ事務所から連名で退所発表させることの異例さをちっともわかっていなくて、それがいかに凄いことなのかと熱弁する岸担の話を、ふーんと他人事で聞いていた。
(今になってあれがどれだけすごいことなのか身に染みてわかる。)
時は進んで(戻って?)北海道の夜。コンサートの後、私は数人のオタクと朝5時まで呑んでいた。同担だった子が、カラオケでは別のジュニアの名前(松田元太)を叫んでいて、「平野は降りるかもしれない」って話をしてたのを、その時もぼんやり聞いていた。まさか自分の方が先に担降りすることになるとも知らず。
北海道から帰ってきて、楽しかったあの時間を反芻するように抜け殻みたいに過ごしていた。
北海道で仲良くなった平野担(松田担)と毎日のように連絡を取っていて、彼女は私をトラジャ担にしたかったのか、よく布教活動のようにいろんな動画や写真を送りつけてきた。
その中で目に飛び込んで来たのが、たまたま映り込んでいた"阿部顕嵐"だった。
誰?このイケメンは?この顔嫌いな女いるか?と思った。(実際に言葉にしていた)
そこから私はトラジャを布教しようとしている松田担にLove-tuneのことばっかり聞くようになる。
今は7ORDERって名前で舞台やったり、番組のイベントやったりしてるみたいだよ。
そんな情報とともに送られてきた写真。イケダンin豊洲pitのバックステージで7人が最高の笑顔で映ってて
とにかくなんだこの陽キャ集団は!(褒めてる)とびっくりするくらいキラキラ眩しくて輝いて見えた。
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さて、ここまできて阿部顕嵐の顔が良い、顕嵐担になるかもしれないとまで言っていたのに、なぜ長妻担?になった?と思っている人もいるかもしれません。(いないかもしれません。)だが、私が長妻怜央に落ちたのは一瞬だった。
「長妻怜央ってバカなんだよ」
そんな文言とともに送られてきた動画(ガムシャラ)。
クイズ企画で、とんでもなく顔の可愛い男の子が、テレビ朝日のある区を「12区!」だと大声で答えていた。私は昔からイケメンとバカ()に目がないのだ。なんて気持ちのいいおバカさなんだ!と思ったら愛おしくてたまらなくて、気付いたら阿部顕嵐そっちのけで長妻怜央を追っていた。(顕嵐ちゃんごめんな)
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そこから7ORDERのモバイル会員になり、ちょうどイケダンの円盤を記念して、今までの放送がモバイルサイトで一気見出来る仕様になっていていたので、転がり落ちるように7ORDERの沼にズブズブハマって行った。
(スクショだらけになるカメラロールを送ったら、あたおか扱いされたこともあったな)
キンプリと7ORDERとどちらも追っかけていた日々。でも私はそんな器用じゃないから、どんどん長妻怜央に比重が傾いてるのに気付かないふりをしてた。私にとって平野紫耀ってもはや宗教みたいな存在だった。アイドルを追っかけてくれる楽しさを教えてくれて。だから、担降りなんて縁起でも無いって考えないようにしてた。
はっきりと覚えている。
9月29日、キンプリが宮城でコンサートツアーをしてた時を同じくして、7ORDERはファンミーティングのため上海にいた。
岸くんの誕生日とコンサートが重なって私の周りはお祭り騒ぎ、とても賑やかだった。
お祝いを終えて、ひっそり覗いた7ORDERの上海でのファンミーティングのレポ。
私はそれを読んで、ガーンと頭を殴られたように、涙が止まらなかった。
「いろいろつらいこともあるけど、一人じゃなくてみんなでいる事に感謝しつつ諦めずに上にいくこと」
ファンの前で、涙を流しながら長妻怜央が紡いだその言葉に全てが詰め込まれてる気がした。
バラエティで天真爛漫にふざけている長妻怜央しか知らなかった。底抜けにポジティブに見えるこの人にも、どうにもならない悔しい思いや、悲しくて泣きたくなる夜があるんだと思ったら、急に何故だかごめんねって気持ちになったんだ。
私が謝ることでは無いのだけれど、宙ぶらりんで応援するんじゃなくて、この人だけを追いかけて、7ORDERがこれから叶えていく夢を一緒に見ていきたいって本気で思った。
それが私の7ORDERのファンになると決めた瞬間。
7ORDERのファンになってから、もし前世時代から応援してたら?と思う時もある。
長い間応援しているファンが羨ましくなるし、一緒につらい時期を乗り越えた強さにはさどうやったって敵わない。
これから、8月22日が来るたびに、
舞台7ORDERの初日に彼らの存在すら知らずにいた自分を悔やむこともあるかもしれない。
でも、私は何かと出逢うタイミングって最初から決められた運命だと思っている。
誰かを本気で好きになって応援することの幸せを教えてくれた人がいた。
そして、
彼らが決して楽では無い道を、7人なら乗り越えらると信じて選んだ。
そんな絆にどうしようもなく惹かれた。
理不尽で苦しい経験を知ってる長妻怜央だから心から好きになったんだ。
そう思っている。
そして、
私は平野担を降りた時から、ずっと心に燻って口に出来ずにいることがある。
それは長妻怜央を、7ORDERを"いつまでもずっと"応援するという言葉。
自分の愛情がいかにちっぽけだったか思い知ったから、軽々しくそんなことを言ってはいけないんじゃないかと思っていた。
だけど、いつも愛の溢れるツイートって言ってくださる方や、平野担だった時の同担からの
「本当に長妻のことが好きなんだね」って言葉がすごく嬉しくて、ちょっとずつ長妻担として認めてもらえてるのかなって気がして。
今日を機会になんとなくログアウトしたまま残していた前のアカウントも消した。なんのけじめにもならないかもしれない。
だけど今、だから今胸を張って言いたい。
長妻怜央くんを、7ORDERをどこまでもずっと、応援し続けたい。
だって7ORDERってほんとうに素晴らしいグループだから。
新しい世界へ7人で飛び出して、7人なら大丈夫だと信じて疑わず、どんな逆境だって力に変えてしまうグループだから。
このご時世でみんなが下を向いている中、
「こんな時だから出来ることがある。」
って強い言葉をくれて、私たちを笑顔にしてくれるスーパーヒーローだから。
最後に、
7ORDERのファンで幸せだなって、何度もそう思わせてくれてありがとう。
こんなちっぽけな私の世界に7色の虹をかけてくれてありがとう。
長妻怜央くんが、7人がこれから歩いていく世界が幸せと笑顔で溢れてますように。
願わくば、その景色をずっと一緒に見られますように。
ゑるま
ひ〜🙄🙄🙄相変わらずめちゃめちゃな文章を絶妙な重たさで、書き殴ってしまった🙇♀️🙇♀️🙇♀️
書いてる途中何度も何が書きたいのかわからなくなって、結局何を伝えたい文なのかさっぱり迷宮していますが、、、私の中で、今もう一度7ORDERと向き合うきっかけが作れて、本当にこの人たちが好きなんだなと気付くことが出来て、とても良い機会でした。
そんな私の自己満足に巻き込んでしまって本当に申し訳ないのですが…
最後までもし読んでくださった方がいるならば、本当に本当にありがとうございました!
これからも文章を書く機会があれば、今度はこんな自己満足テキストではなく、彼らの魅力にフォーカスしたブログも書けたらなと思っております。